モン・サン・ミッシェルに行ってきました。

2013.06.01 13:16|黒川陽子のフランス紀行
旅先で。
写真を撮るために携帯の充電は温存しておきたい。でも、移動中もブログを更新したい。そのために蓄電式の充電器を買っていったのに、事前に蓄電していかなかったため、早々に充電器の充電が切れるという「女子力以前」の障害によってブログの更新が途切れてすみません。

黒川です。

モン・サン・ミッシェルに行ってきました。
この島はある伝説の上に成り立っていて、8世紀初頭、司教オベールの夢に大天使ミカエル(サン・ミッシェル)が出てきて「修道院を建てよ」と告げたそうです。しかし、オベールはこれを天使のお告げだとは信じず、数回に渡って無視し続けたため、業を煮やしたミカエルがオベールの頭蓋骨に指を突っ込んで「修道院を建てよ」と言うに至って、オベールもついに天使のお告げと信じ、修道院を建てたそうです。
するとたちまち修道院の周囲に海水が満ちて、そこは孤島となったのでした。
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夜のモン・サン・ミッシェル。
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オベールの頭蓋骨に指を突っ込む大天使ミカエルのレリーフ。

その後、14~15世紀の百年戦争の際には、モン・サン・ミッシェルはフランス軍の要塞として使われました。
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要塞時代を忍ばせる堅牢な石造りの塀。
潮の満ち引きが、攻め込む側のイギリス軍にとって大きな障害となり、この要塞は一度も陥落しなかったといいます。
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イギリス軍が残していった大砲(※現在は待ち合わせ場所になっています)

さらに18世紀のフランス革命の際には、ここは監獄として利用され「海のバスチーユ」として怖れられました。
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囚人たちが働かされていた部屋の木の車輪。
この中に囚人が4、5人入り、何か重いものを持ち上げていたそうです。

そして19世紀、ナポレオン三世が監獄としての利用を終了させ、モン・サン・ミッシェルに再び修道僧たちが戻ってきたのでした。
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精緻なステンド・グラス。
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聖母子像。
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修道僧たちが瞑想した庭。

そんなわけで、様々な用途に利用されてきたモン・サン・ミッシェルはたびたび増改築を繰り返し、最初は平屋のシンプルな修道院だったのが、スマホばりの多機能施設に変身したのでした。
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モン・サン・ミッシェルを形作っている石。
数字が刻まれているのは、この石を運んできた労働者が自分の頑張りをアピールし、お給料をもらうためだったそうです。
8番さんが頑張っていました。

プーラールおばさんという人がいます。
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昔、モン・サン・ミッシェルにやってきた巡礼者たちに温かいものでお腹いっぱいになってもらうため、手作りのオムレツを振る舞っていたそうです。
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精進料理のため、卵とお水くらいしか使われていません。
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えらく泡立てることが特徴のオムレツで、中がメレンゲのようになっています。
味はほとんどなく、終始クリームを食べているような感じです。
表面はオムライスの皮に似ていました。
「よくこの形を保っていられるな」という驚きだけで、美味しく食べられました。

プーラールおばさんのお墓は、モン・サン・ミッシェルの中の墓地のいちばん目立つところに作られています。

ということで、驚異の島モン・サン・ミッシェルと、驚異のふわふわオムレツ、堪能いたしました
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「死後に戯曲が残る劇作家」を目指す劇作家女子4人組。

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